2017.04.27

東海岸のベガス、アトランティックシティーの光と影

アトランティックシティーは長年、ラスベガスの直接的なライバルでした。カジノのおかげでアメリカ東海岸の富とギャンブルの中心地となり、黄金期は数十年続きました。同市は繁栄を極めたビジネス(つまりギャンブル業)によって、この国の 首都(ワシントンDC)やニューヨーク市近隣からもカジノ客を惹きつけました。

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しかし、アトランティックシティーとラスベガスの間には常に重大な差がありました。まず立地ですが、アトランティックシティーはニュージャージー州に位置しているにもかかわらず、実際のところネバダ州のライバルの強力な評判に太刀打ちすることができていません。経済について言えば、最盛期はあったものの、事業を根付かせる強固な基盤を築くまでには至らず、先住民居留地でギャンブルやカジノの新たな中心地の開発を始めたところ、激しい抵抗にあいました。同市の実態はむしろ複雑化していて、すでに閉鎖したカジノもいくつかあり、屈指の知名度を誇るトランプ・パレスでさえ、いつ同じ運命をたどることになるか分かりません(大富豪の重要人物がオーナーであってもです)。

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アトランティックシティーに現在、残っているカジノは12軒です。ラスベガスに比べれば知名度は劣りますし、控え目ですが、ポーカーやスロットマシーンを好む多くのカジノ客にとっては、ネバダ砂漠の真ん中にあるギャンブル都市よりもはるかにアクセスしやすい立地です。ニュージャージー州にあるアトランティックシティーは島の上に位置していて、象徴的な板張りの遊歩道で有名です。20世紀初頭にはギャンブルをしても違法にならない同州唯一の都市ということで、年間3,000万人を超える観光客が一稼ぎすることを夢みて押し寄せました。
アトランティックシティーはニューヨーク市と同じように眠らない街となり、カジノだけでなくあらゆる種類のレストラン、ミュージアム、アートギャラリー、スパ、ゴルフクラブ、ショップ、パブなど、数多くの娯楽施設を整備することによって、退屈とは無縁の場所へと変貌を遂げたのです。

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アトランティックシティーのカジノの大半は有名なボードウォーク沿いにあります。これは約5kmにおよぶ板張りの遊歩道で、ビーチとビーチ沿いに建ち並ぶ建物との間に設置されています。建設されたのは1870年で、アメリカで最も古い歴史があります。景観のためではなく、風によってビーチに近いホテルやレストラン、住宅に砂が侵入するのを防ぐ解決策として作られましたが、その後、2012年に大型ハリケーンに襲われて破壊されました。
最初の経済問題が警鐘を鳴らし始めたのは、ハリケーン「サンディ」がこの街に上陸した2012年でした。大きな被害を受けて多額の再建費用が必要となり、享受するはずだった過去の栄光は消え去りました。なお、建物についてはなんとか再建を果たしたアトランティックシティーでしたが、ハリケーン「サンディ」によって大きな財政努力を強いられた地方行政は今なお復興に苦戦しています。
しかし、自然災害はこの街を破綻寸前に追い込んだ要因のひとつに過ぎません。過去8年間、アトランティックシティーは不動産価格の暴落による不動産危機にさらされてきました。

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地元経済のほとんどすべてをギャンブル関連業に頼っているため、アトランティックシティーでは現在、多くの人が苦境に立たされていて、彼らの約3分の1は貧困ラインを下回る生活を送っているとみられています。
一方、同市を救済して「よみがえらせる」ための取り組みもいくつか進められています。と言うのも、ここはギャンブルのメッカですから、全盛期を覚えていて、その思い出に愛着を感じている人も大勢いるのです。それほど昔のことではありませんが、私もこの街を訪れた覚えはあるので、衰退しているという記事を読んで寂しい気持ちになりました。
この数カ月間で市議会は、廃れてしまったウォーターフロントエリアを再開することを決定しました。このエリアはカジノ客を海から遠ざけて、できるだけ建物内でプレーさせるという意図から、数年前まで封鎖されていました。しかし、今ではウォーターフロントエリアに直接アクセスできるカジノ会場も増え、レストランやビーチバーも複数開設されています。また、コンサート会場としてオープンしたショップやナイトクラブ、バーもあり、砂浜にはビーチバレーのコートも設置されています。街周辺のカジノのイメージを管理する非営利組織は、街のイメージをギャンブルしかない街から、家族で楽しめる娯楽エリア(ラスベガスのような)へと一変させようとしています。

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